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【2011.04.09 Saturday 】 author : スポンサードリンク
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マレーシア ペナン島滞在記[その二]
こんにちは!らいじんぐさんです!
今日も引き続き1月7日〜9日にかけて訪問したマレーシアペナン島の滞在記を紹介します!



それではマレーシア ペナン島編第二回始まります!



一日目の仕事を終えてホテルに到着。
今回泊まったホテルはペナン島の『CITITEL』というホテル。
一泊マレーシアの通貨リンギットで140RM(約3,900円)!

↓『CITITEL』ホテルの部屋




↓あんまり広くは無いが、部屋はきれい(ちなみに歯磨きや髭剃りなどは持参する必要がある)。




ホテル内では何組もの日本人を見かける、そういえば注意書きなども日本語で書かれていたっけ。
シンガポールから出張で来た国で日本人を見かけたのは久しぶり(^_^;)

そういえば空港からこちらに来る途中にも「ようこそ」など、日本語で書かれた標識を見かけた。
ペナンには日本人の観光客も多く来るのだろうか。
(しかし日本語が通じるということは無く、会話はもっぱら英語。)

↓部屋から見たペナン島の景色




翌朝、Chongさんとロビーで待ち合わせして今日の目的地へ向かう。
Chongさんはマレーシア人で、多くのマレーシア人は英語・広東語・マレー語など複数の言語を話すことができる。

Chongさんはこの仕事をする前、イギリスで2年間通信関係のエンジニアをしていたとの事。
アジア英語独特のアクセントも少なく、なんとなく聞き取りやすい。

シンガポールに来て、
フィリピン、インドネシア、バングラディッシュ、マレーシアといったアジアをまわってきた今、
とても感じることがある。

それは、アジアでは英語が話せることが普通だということ。
空気のように普通。だから英語が話せない日本人がとても変に見える。

「アメリカと親密な関係なのに、なんで日本人は英語を話せないんだ?」と聞かれる事がある。
最初は馬鹿にしてる?とも思ったけどそうでもない。

マレーシア人やバングラディッシュ、フィリピンの人々にとっては本当に素朴な疑問なのだ。
私はまだ、世界の10ヶ国程度しかいったことが無い。

それでも日本人が尊敬と、そして少し特異な目で見られているのを感じる。
日本人と英語を使って交流することが難しいから、彼らは日本のことが良く分からない。

日本ではほとんどの文章や看板が日本語で書かれている。
だからとっても外国人に冷たい印象がある。

日本はまるで外国人が入ってくることを拒絶しているようにも感じる事がある。
私はもっともっと日本人一人一人の視野が広くなればいいと思う。

世界は広い。
ただその世界を「空気みたいな」英語によって近づけることが出来るんじゃないかって思う。

そしてその中で一人でも多くの「世界の真ん中のジャパニーズ」が生まれればいいと思う。
もちろん私もそう成りたい。そのための行動はもう始めているのだから・・・


車は、衛星アンテナがずらりと並ぶマンション群を抜け、今日の目的地に到着。
今回も地震後動作不安定に陥った装置の修理を行う。


・・・仕事は以外に遅くまでかかってしまった。
早く終わったら津波に襲われたというビーチに行こうと思っていたのに・・・


私:『もう遅くなっちゃったし、ビーチにはいけないかな?』

Chong:『うーん。でも日本の友達に手紙を書くんでしょ(と言ってある)?』
Chong:『だったらトライしてみましょう。日が完全に落ちる前に着くかもしれない。』


Chongさんの好意で何とか日が落ちる前に災害地に行けることになった。
車は海沿いの繁華街を越えてビーチへと向かう。

街にはまばらではあるが、白人の観光客の姿も見える。
街並みにはこれといって被害を受けた感じはない。
「津波があった」と誰かが言わなければそれとは分からないほどだ。

程なくしてChongさんが『MUTIARA』ホテルの前で車を止める。

Chong:『行きましょう。ちょっと暗くなったけど、写真撮れますか?』

うーん。暗い・・・もうすでにかなり暗くなっていた。
デジタルカメラを夜景モードにしてまずは被害を受けたMUTIARAホテル内のプールを撮ってみた。

↓津波の被害を受けたホテル内のプール




ホテル内、もう時間も遅いからかプールで泳ぐ人はいなかったが、
プールはとてもきれいで全く津波の被害を感じさせなかった。

プールを越えて、被害のあったビーチへ向かう。
↓津波の被害のあったビーチ




津波があったと言われなければ何もわからないくらいに澄んでいてきれいな海でした(暗くてすいません(^_^;))。私はこの景色を見て、なんでChongさんがここへつれて来たかったのか分かったような気がしました。

私はインドネシア代理店から送られてきたアチェにある海沿いの病院の写真付きのレポートも見ましたが、アチェの病院の装置は完全に津波にやられていてとても修理が出来る状態ではなかったです。それとは比べ物にならないほどきれいな海でした。


Chongさんからの伝言。
Chong:『ペナンは津波の被害はほとんどありません。だからみんなに心配ないと伝えてください。それにペナンはご飯もおいしいです。ダックライスを食べに来てください。』


うーん。いつからChongさんはペナン島観光代理店のスタッフになったのだろうか(^_^;)


次の日の朝一番の便で私はペナンを発ちました。
私のペナン滞在記はここでおしまいですが、ペナンに住む方のブログを見つけました♪

写真も多く掲載してあり、ペナンのことが良く分かると思います♪
良かったら訪問されてみてください♪→『ペナン島へようこそ!』へ!




PS.
最近私のブログのランキングが持ち直しつつあります。
こうやって皆さんからの応援を頂き、それが形になって現れているのを見ると感無量です。

これからも頑張ってこの体験記を書かせてもらいます!
みなさん、これからも応援よろしくお願い致します!!


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【2005.01.17 Monday 09:56】 author : ライジングサン
| マレーシア滞在記 | comments(0) | trackbacks(0) |
マレーシア ペナン島滞在記[その一]
こんにちは!らいじんぐさんです!
今日は1月7日〜9日にかけて訪問したマレーシアペナン島の滞在記を紹介します!

ペナンはマレー半島の北西に位置する島。
今回のスマトラ沖地震では数十人の犠牲者を出したと聞きます。
今回の出張ではペナン島の町並みや災害の様子を探ってみました。


それではマレーシア ペナン島編第一回始まります!



1月7日(金) 11:30・・・ペナン島に到着。

ペナン空港は規模こそそれほど大きくないものの、
フロアは綺麗で観光地らしく整備されている感じがする。

金曜日の午前中だからか、
イミグレーションには人がまばらでほとんど待つ必要が無くゲートを通過できた。
やはりスマトラ沖地震の影響で起きた津波の影響だろうか?

ここでは数十人が波にのまれて亡くなったと聞く。


ゲートを出て現地エンジニアのChongさんに会う、
彼とはシンガポールで一度、そして日帰りで行ったマレーシア出張で一度会ったことがあり
顔見知りだ。

私:『Chongさん、Chongさんも今日は飛行機でKL(クアラルンプール)から来たの?』

Chong:『え?いや車で来たよ。400キロくらいだから^^』

でも、Chongさんの車って15年物の軽自動車だったよね・・・よくもまぁ(と思ったけど言えない

私:『そか、その方が島の移動便利だもんね(^_^;)』
まぁそんな小話も挟みつつChongさんの車に乗り込み中心部へ向かう。


30分間ほどのドライブの間、Chongさんと色々ペナンについて話をした。
マレーシアの北西に位置するペナン島は、人口の約70パーセントが中華系の人によって占められている。しかし依然は英国領だった影響を受けて、中華系と英国系の街並みが合わさったような興味深い街並みなっている。

彼らもイギリス人みたいに古き良きものを大事にする為、建物は取り壊すことなくリフォームを繰り返す。その為建物は古いものも多いが、歴史を感じる良い雰囲気をかもし出している。

↓イギリスを思わせるようなペナンの街並み





↓KLCCに次ぐ、マレーシアで2番目に高いペナン島のシンボルタワー
最近滞在した国が国だけに、バイカーがヘルメットをしているだけでほっとする(^_^;)





街並みはきれいで、私の最近の経済的指標を図る基準になっている「セブンイレブン」や「マクドナルド」もいたるところにある(笑)

↓街には多くの高級車が走っていました。





ペナンの街並みはどことなくハワイを思い出す(ワイキキの中心部じゃなくて田舎のほうのハワイに似てると思う)

↓ペナンは自然がいっぱい!街で見かけた巨大樹(道路標識と比較してください(^_^))。





車の中では今回の津波のことも聞いてみた。
ペナンの津波は12月26日の午前9時頃に起こったとの事。

ペナンでは通常津波など考えられない土地らしく、
現地の人々は津波の第一波が押し寄せた時その危険性を知らなかったとの事。

第一波が過ぎ去った後、人々は急いで避難しなかった。
そしてピクニックや海辺でのバカンスを楽しんでいた数十人の人達が亡くなった・・・

Chong:『今回、私達は”TSUNAMI”の怖さを知った。そして”TUNAMI”とは何かを学んだ。もう繰り返さない

今回のスマトラ沖地震による津波は、世界中に”TUNAMI”として日本語で伝えられている。

津波を英語で普通に訳すと「Tidal Wave」なのだが、
人々はこの恐ろしい大津波を”TUNAMI”という言葉に象徴した。

Chongさんも今回始めて「津波」という単語を知ったとの事だ。
そして日本人が多くの津波を体験し、その教訓として防波堤などの処置を日常的にとっていることにしきりに感心していた。



車はまもなく今日の目的地に着く。
地震の影響で医療機器の様子がおかしいとの事。

必ず直して見せます。
それが私がここで出来ることだから。




PS.
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これからも頑張ってこの体験記を書かせてもらいます!
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【2005.01.14 Friday 09:38】 author : ライジングサン
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